板尾日記5
簡潔でわかりやすい日記でした。
娘さんを亡くされて、奥様の苦しみが
板尾さんの日記からよくわかりました。
いつもバラエティで不思議キャラとして3枚目な役どころですが
日記を読んで誠実さと優しさで・・・・
千原ジュニアさんがいつも敬意をはらっているのが理解できますね。
愛でもない青春でもない旅立たない (講談社文庫)
モラトリアム下にある大学生の日常を
ただただ淡々と描いている。
堅苦しい理屈を、恐らくは意図的に
思考からも筆致からも丁寧に消すことによって
独特の雰囲気を醸し出すことに成功している。
唯一、その微温湯的な構造を破壊するのが
夢の挿話とそこに登場する少女の存在で、
ラスト、その夢の世界が現実世界を覆い、
イメージが乱舞して終わる。このラストの
処理をどう解釈すればいいのか、
正直私にはよく判らないが、
気になる作品であることだけは間違いない。
グレート生活アドベンチャー (新潮文庫)
いま30歳。氷河期世代、ロストジェネレーション。俺は勝手にニューエイジって呼んでるけど、“生産にも消費にも欲望しない世代”である。「グレートアドベンチャー」に「生活」を挟むタイトルもそうだし、「僕は東京に生まれた。ちょうど魔王のいる洞窟に入ろうとしているところ」っていう書き出しもそうなんだけど、現実と仮想がシームレスな感覚ってのはこの世代以降には結構ナチュラルなものなんじゃないかな。「今俺さ、ゲームの人が考えてたことわかったぜ」ってセリフとか、漫画「堕天使の吐息」のストーリーと、カノジョの日記の中の元カレとのストーリーの類似とかね。現実と仮想もそうだけど、他者と自己の境界線もナチュラルに曖昧だ。主人公はカノジョの家に転がり込んでいるんだけど、性的なシーンは皆無。そりゃそうだ、他者と自己がフラットで、そこに差異が見出せなければ、支配したいとか一体になりたいといった欲望は生まれない。そこに旧来的なドラマやロマンはない。でもね、現実と仮想、他者と自己を自由に行き来出来るってそれ、まったく新たな可能性であってさ。現実と仮想、他者と自己が一緒で差異が明確じゃないとしたら、お金使わなくて済むよね。そして、「俺は大丈夫だろう。多分。なんとなくそんな気がして30年。このままあと60年くらい乗り切れないだろうか」っていう楽観。この主人公、なんとなく、90年も生きるつもりでいる訳だ。差異も欲望もないってことは、生死の観念も薄いってことでね。主人公の、他者への思いやりとかが一切ない、のんべんだらりとした風情、鈍感さに、呆れ、侮蔑の感情を持つ一方で、これからの、消去法としての処世術ってのも感じるんだよね。
併載の「ゆっくり消える。記憶の幽霊」は、大阪弁抜きの「わたくし率イン歯ー、または世界」って趣き。この人、一見ひよわでだらしなく見せて、一筋縄じゃいかないふてぶてしさ、醒めた視線持ってるね。