明日への遺言 特別版 [DVD]
なぜ、小泉堯史監督はこの作品を今作れたのか。
「雨あがる」「阿弥陀堂だより」「博士の愛した数式」は全て傑作。
小泉は残されていた黒沢組をたばねた。
今、小泉は勢いがある。
15年間、自らの脚本としてあたためてきた作品。
勢いのある時期が到来。
おのれの作品を小泉は作った。
主人公は東海軍司令官・岡田資(たすく)中将。戦犯の裁判が東京、横浜で行われていたことを知る。
自己の責任を逃避する軍人たち。その中で、自らの責任を全うに引きうけ、闘う岡田。
日本国各地を無差別爆撃した米国は国際法違反。ヒロシマナガサキにおける原爆投下は違法である。横浜で空襲し、落下傘でおり捕虜となった米軍兵士に対して岡田が行った命令はおかしいのか。
岡田は、「処罰」することを命じた。日本刀で処罰する最高の名誉ある処置を部下達は行った。
軍事法廷が横浜で行われる。
「報復」か「処罰」か。断じて「処罰」であると言い切る岡田資。
米国の弁護士たちは岡田の軍人としての意志に共鳴。
裁判官は岡田にあらためて確認する。岡田は「報復」ではなく、「処罰」であると言い切る。
現在、岡田資を演じる役者は藤田まことしかいない。妻は富司純子。部下達の姿。
岡田の生き方に共鳴した米国司法者たち。拒否し 絞首刑になった岡田。
この作品の価値がわかる日本人がいてほしい。必見。
野火 (新潮文庫)
『俘虜記』『レイテ戦記』とともに一度読んだら忘れられない作品.人が死を覚悟するとき,なお意味あるものとして見えるのは何なのか,を精確なカメラでみるように,映し出す.逃れるために,研ぎ澄まされた作者の目に映る,様々な山中の地形.その不安なパノラマの中に出現する得体の知れぬ野火.その火に向かって野を分け入ってゆくときの戦慄.
必要最小限の描写にもかかわらず,行ったことも見たこともないフィリピンの自然と地形が,フィリピンの山中の木々が,今そこにあるように,文章の中から立ち現れてくる.その地形の描写が,背後にある主人公の死の意識を照らし出すその喚起力の確かさ(hauntingという言葉はこのような経験を描写する言葉ではないだろうか).主人公の山中の彷徨を,抑制された筆で,「自然科学的に」たどる,その記述のもたらす緊張感は,何度読んでも感嘆するしかない.傑作.
事件 [DVD]
脚本、監督の演出、役者たちの熱い演技のぶつかり合い、何もかもが素晴らしい。
殺人事件を取り扱ってはいるものの、単純な勧善懲悪や、推理もの、サスペンスにはとどまらず、成り行きや運命に翻弄されてしまう人間達の哀しさが存分に表現されている。
含みを持たせたラストがまた心憎いばかりで、全く非の打ち所のない作品である。
野火 [DVD]
この映画を単に戦争映画と呼ぶのには抵抗がある。戦争という極限状態に置かれた人間ドラマである。その意味で、この映画は、実際に戦地の悲惨を見て来た大岡昇平の原作があり、また戦争を経験した市川崑であるから撮れた映画かもしれない。残念ながら原作は読んでいないので,比較することはできないが、戦争の悲惨、戦争の皮肉を描いた映画として世界に冠たる映画だろう。少なくとも戦勝者であるアメリカやイギリスでは作れない映画がここにある。モラルを飛び越えてしまう戦争の恐ろしさ、もの悲しさが白黒の画面を通して鮮明に伝わって来る名作である。多くの自作映画をリメイクした市川監督であるが、この作品のリメイクがなかったことが興味深い。
俘虜記 (新潮文庫)
私はこの作品をノンフィクションと思い込んで読み始め、カバーに記されている解説により、読み終えた後になって初めて、著者の従軍体験に基づく連作小説であると言うことを知ったのである。しかし、今でも私にとってはノンフィクションであり、どこが虚構に当たるのか、全くわからない。少なくともこの作品を小説とするなら、ジャーナリストの書いた記事でも小説に分類されてしまうものが多々存在することになると思う。
部隊から外れ一人戦場を彷徨っていた著者が、林のへりに倒れ込んでいた時に米兵が現れる。米兵は著者に気付かないのだが、著者は銃の安全装置を外すも結局射たないのである。この「なぜ射たなかったか」についての省察に数ページ費やされていることが、唯一のノンフィクションらしからぬ箇所であろうか。
タイトルから察せられるように、書かれていることの大部分は俘虜収容所内のことである。そして「阿諛」と言う言葉が何度も出てくるが、これが日本人の集団秩序の維持に重要な役割を果たしていることもわかる。戦場と言う極限状況下、収容所内で新たな秩序が形成されていく過程、米兵との対比などを通して、日本人と言うものを見つめ直すことの出来る好著である。