関東大震災 (文春文庫)
陸軍被服廠跡の描写に関しては筆舌に尽くし難いものがあります。震災そのものよりも二次災害の怖さがよくわかります。2万坪の広大な空き地ではありましたが、そこに震災から逃れた4万人弱の人たちが家財を持って集まってきました。その時は震災から逃れきれた安堵感もあり、家財の上で将棋をさす姿もあったといいます。そこに火の粉が降り注ぎ一瞬のうちに火の包まれ、結局4万人に近い人々が焼死したといいます。これは関東大震災の全死者数の約4割であり、歴史上、二次災害ではあっても自然災害で限定された一か所で四万人もの死者を瞬時に出した災害はないのではないでしょか。また筆者は震災そのものの悲劇と同じ目線で朝鮮人への風評による虐殺や混乱に乗じた社会主義者に対する殺害を人災として書き記しています。災害の怖さはもちろんのこと人間の怖さを伝える素晴らしい一冊です。
三陸海岸大津波 (文春文庫)
「3-11」の大地震にともなう大津波。被災者として直接体験していない多くの人もまた、すでに膨大な数の映像を見て津波という自然現象のすさまじさを、アタマとココロに刻みつけられた。
この映像視聴体験を踏まえたうえで本書を読むと、すでに明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)におこった三陸海岸大津波において、今回2011年の大津波とほぼ同じことが起こっていたことを知ることができる。
とくに「明治29年の津波」。当時は、文字通り「陸の孤島」であった三陸地方の受けた津波の被害があまりにもナマナマしい。文字で追って読む内容と、今回の津波を映像で見た記憶が完全にオーバラップしてくる。
津波の犠牲者の多くは溺死したわけだが、溺死寸前で生還した体験者の語った内容を読むと、あまりものリアリティに、読んでいる自分自身が、水のなかでもがき苦しんでいる状態を想像してしまうくらいだ。これは、高台から撮影した映像からは、けっしてうかがい知ることのできない貴重な証言である。
文明がいくら進もうと、地震と津波は避けることができない。防潮堤すら越えてあっという間に押し寄せてくる津波。地震予知が進歩したと思ったのも幻想に過ぎなかったことがわかってしまった。いや、すでに1934年に寺田寅彦が書いているように、文明が進めば進むほど被害はかえって大きくなるということが、残念なことに今回もまた実証されてしまったのだ。
今回の大津波の生存者の証言も時間がたてば集められ、整理されることになると思うが、おそらく明治29年のときのものと大きな違いはないのかもしれない。本書じたい、いまから40年も前の出版だが、まったく古さを感じないのは、自然の猛威を前にしたら、たとえ文明が進もうが、人間などほんとうにちっぽけな存在に過ぎないことを再確認したことにある。
まだまだ、これからも読み続けられていくべき名著であることは間違いない。はじめて読んでみて強くそう感じた。
津波と防災―三陸津波始末 (シリーズ繰り返す自然災害を知る・防ぐ)
著者の山下文男さんは 入院中の陸前高田の病院の4階で、ここなら大丈夫だと
思っていたが、首まで水につかることになってしまったという
津波の警鐘を鳴らし続けて、今回の津波災害をほとんど予告していた山下さんですら
改めて恐怖を感じるという津波の力
それでも、次第に人は忘れる。小さな津波に慣れ、今回は大丈夫といった正常化バイアスは
人間としてある意味逃れられない本性である。
それでも、明治や昭和の三陸津波の経験いかに語り継ぐのが難しいかがわかる。
過去の例では復旧・復興に防災の配慮は小さかったが、今回はハード・ソフトのバランスのとれた
対策が行われることを切に願う