映画篇 (集英社文庫)
金城さんは映画をものすごく観ている、だけでなく、
映画をものすごく愛しているんだってのを、深く感じさせる作品たちです。
登場人物の一人が言う「映画を批評するようになってしまうのでなく、映画を楽しみたい」
という思いは何より金城さんの本音なのかもしれません。
登場する96本の映画をスタッフが片っ端から観てレビューを書くという企画が
集英社の公式サイトで行われていますが、どの映画も是非とも自分で観たい欲求がわいてきます。
5つの中編はあちこちリンクしていますが、全体を通して一つの物語が浮かぶというよりは
一つの出来事がそれぞれの人生のどんな1ページだったか、という多面的なものに感じられます。
私は最後の話「愛の泉」が最も好きでした。
これを読んでから改めて内表紙を見ると、じんわりと胸が熱くなります。
この夏一番読んでよかったと思った本でした。
太陽がいっぱい 柿葉茶 30包 (3入り)
値段につられて買いましたが、味も悪くなく、買い続けています。
夫の高血圧を心配して、気休めにでもなればと思い飲み始めましたが、夫には合っていたようで血圧も下がりました。
癖の無い味で、麦茶のかわりにしています。
太陽がいっぱい 最新デジタル・リマスター版 (Blu-ray)
最新リマスターということで、物凄く欲しいですが、故・野沢那智さんの吹き替えは収録されないようです。
既発売のDVDにも収録された那智&堀勝之祐バージョン、或いはテレビ東京で新録された那智&池田秀一バージョンを収録してほしかったです。
野沢那智さんのドロンで「太陽がいっぱい」のノーカット吹き替え版が、今後絶対に観られる事がないと思うと本当に残念でなりません。
映画篇
「ローマの休日」上映会に係わった、相互には関係性のない人々を主人公とした連作短編集。直接の関係は無いんだけど、薬害問題、ビデオ・ショップ、“「死亡の塔」みたいな映画(僕は映画に疎いので具体的な作品名は知らないのだけれど)”...といったディティールで知らずにつながっている。どれも独立して良質な短編に仕上がっているけど、冒頭の「太陽がいっぱい」が面白かった。僕と龍一の、映画を介在とした、表面的にはクールな本質的にはかけがえのない関係性がいい(「カッコ良くいることが、友情を続ける最善の方法だと信じたのだ」「龍一と過ごした幸せな時間よりも、もっと多くの不幸せな時間の中で僕は生きていた。でも、不思議なことに、龍一と見た映画を起点にして目の前に広がる記憶には、不幸せだった事柄がぽかりと欠落しているのだ」)。これって重要なのは他者(友)と共有する他者(映画)の記憶ってことだ。主人公の僕が龍一と過ごしたのはほんの短い(でも密度の濃い)時間なんだけど、その後の人生も僕と龍一は映画って記憶でつながっているんだよね。映画とか小説って現実とは別回路で、他者や他者との記憶を呼び起こすことのできる装置であって。作品では、「自分の人生がクソみたいになってるから、映画とか小説の世界に逃げ込んでる」ってネガティヴな言い方を龍一にさせてるけど、ほとんどの人は映画とか小説が必要な人生を送っている訳でさ。「僕」が小説を書き始めるきっかけも感動的だ。「感性と表現は同時に宿らない(こともある)」「時間が経って表現を身に着けた時、いかにアクセス出来る記憶を持っていられるかが大事」ってことだろうか。若い頃は多感だけど、「僕たちの知識や語彙は乏し過ぎた」ってことが往々にしてある。大事なのは現実じゃなくて、それを超えていく想像、あるいは記憶。「現実はいずれ物語の力にひれ伏し、俺らの物語は事実として語られ始めるだろう」。