
にごりえ・たけくらべ (新潮文庫)
樋口一葉は学校時代に一度は目を通したけれど、文語調がよみづらくて挫折した、、、そんな方にもういちど読んでほしい一冊です。
私もそうだったんですが、五千円札になって、あらためて読んでみようと思ったら、するする入り込めました!
一葉の経済的な悩み、恋いの悩み、はがゆい初恋、、。そのリアルさときたらまさに私達とおんなじなのです。
着物の描写もすばらしいので、じっくりと想像力を働かせながら、ビジュアルでとらえると、急にいきいきと彼女の世界がひかりだします。

東京大学で世界文学を学ぶ
人間が生まれて成長していく過程と、人類が誕生して文化を持っていく、言語を習得していく過程とはパラレルではないか。そういうふうに考えるしかないような形で人間が意識、つまり、言語を持った。(巨大となった脳細胞の自己保存)
言語を持つということは音を分節すると同時に世界を分節することである。外側の世界を音によって分節化して再構築する。
そこに物語が生まれる。神話が誕生する。
物語とは共同体内部の声に依拠している。
近代の小説(言語で書かれたもの)は個人がつくり出したものである。そして、物語から声が失われたものが黙読である。
声が閉じ込められることによって「内面」が生まれる。心である。つまり、「行為」でなく主観・客観・対象である。
(仏教ではこれを幻化・空華とする)
明治以来の教育は一貫してこの流れを加速させてきた。(近代化)
この本を読んでいると江戸時代以前についてどの程度を理解出来るだろうかということを考えてしまう。
外部自然と私とが切れ目なしに地続きになっている無垢な経験が今では失われている。「行為」という視点の欠落である。
かろうじて武術等には残っているがこの落差は大きい。
辻原登は慧眼の人である。このほか多数の斬新な見解が示されている。

浮雲 (新潮文庫)
日本初の近代的小説である。内容が云々と言うより、「小説というものをどうやって書くか」という点に悩んだ作者の苦悩が伝わって来る作品である。また、作家を志す旨を父に告げた際、「くたばってしまえ」と罵倒された文句をそのまま筆名にした作者の苦衷が忍ばれる。
四迷は小説を書く言葉について考え抜いた挙句、落語の語り口を選んだ。文語(漢語)でもなく、かと言って日常の話し言葉でもない言葉を捜しての苦悩の選択である。現在の眼で見ると文語調に感じられるが、当時としては斬新な試みだったと思う。
その後の明治文学の先駆けとなった記念碑的作品。