父の詫び状 <新装版> (文春文庫)
テレビドラマの脚本家として活躍していた著者による、
文筆家として初めての作品でありながら、すでに最高傑作。
その文体、構成、すべてが一級品の職人芸を思わせる。
読者は笑ったり、少ししんみりしたりしながら読み進み、
節々でその職人芸に魅せられ、思わず「うまい」と、うなってしまう。
エッセイと言うよりは短編で綴った私小説とも読め、直木賞作品と
なった「思い出トランプ」は同じ延長線上にあると言っていい。
何度読み返したかわからない一冊。 ☆10個。
無名仮名人名簿 (文春文庫 (277‐3))
このエッセイは、向田さんの小説でも見受けられる鋭い観察眼で描かれています。その鋭さが、他人は元よりご自分にまでしっかり向けられ、冷静に自分を判断されているところが、すごいところだと思います。1つ1つテーマ毎に、よくこんなにエピソードがあるなぁと感心してしまいます。まるでお笑いのネタじゃないの?と思うような話もありますが、そこは「事実は小説より奇なり」と言う言葉そのままに、タイトル通り有名人から無名の人まで、人って面白いなぁと思わせるエピソード満載のエッセイになっています。時折出てくる飼い猫のエッセイが好きです。ちょっと辛口な言いっぷりにもユーモアがあります。しかし普通だったら見落としてしまうような部分をきっちりと捉えられている点、ちょっと怖いです。
向田邦子の恋文 [DVD]
ドラマを見ることの喜びを心の底から味わうことの出来た物語です。そもそも私の好きな大石静の手になる脚本だということすら知らず、単に山口智子がほぼ8年の沈黙を破ってドラマ出演したという話題性にのみ注目して見てみたのですが、なかなかどうして、演出も脚本もそして役者陣も申し分のない仕上がりです。
物を作る仕事に携わる人は、ささやかではあるが自分なりの世界や宇宙を生み出し、それを自分なりの色に染め上げようと努めるものでしょう。小さな世界の支配者たらんとする気概と力強さがあって当然です。山口智子演じる邦子はまさにそうした世界のとば口に凛として立つ若き放送作家です。
一方で彼女は、人生に倦み疲れてしまったかのような中年男性との<道ならぬ恋>を生きています。あの時代に仕事を持つ30代の女性がおおやけにすることの憚られる恋愛を生きることは、大きな異端であったはず。表に出すことの許されない「日陰の恋」を生きる彼女の姿は、自分の世界を力強く切り開く女のそれではありません。疲弊した男に慈しみの心を無条件で差し出し、あたかも相手の世界の中に自身を解消し、同化させていくかのようです。私はそこに<健気(けなげ)>という形容詞を見て取り、そして強く胸を打たれました。
向田邦子が後に飛行機事故で早世することは広く知られています。彼女がこの美しく儚い恋の物語をずっと胸に秘めたまま逝ってしまったことを思うと、他人がまねることは決して容易ではない彼女の<潔さ>にも思いが至り、私は涙を禁じることが出来ませんでした。
山口智子は徹頭徹尾納得のいく仕事だけを選ぶことを自らに厳しく課した稀有で有能な役者になったのではないか。私にはそんな風に思われます。こうした果敢な女優を殺すことのない日本の芸能界であってほしいものだと願わずにはいられません。