中世騎士物語 (岩波文庫)
中世とは騎士道物語が全盛の時代なのですが、これは英国の古い作品(アーサー王物語やブリタニア列王史など、ケルト系を含めた神代の物語作品)をまとめて、文学作品として一貫性をもたせ、解説をつけたものです。
内容としてはよいものです。アーサー王伝説もよくまとまっており、また(原本が作られた当時では)最新のテクストであったマビノギオンも収録、物語として収められており、充実した内容となっています。
こういった作品に初めて触れるという人には格好の本だと思います。
ただ、何とかならないかと思うのが本の題名です。もとはThe Age of Chivalry(騎士の時代)というもので、騎士道がどういったものか、といったのをメインにすえたものです。内容も先述したように、マビノギオンやアーサー王伝説を含めて、いわゆる神代、つまり伝説的なものです。
しかし、中世に流行したものはこういった伝説だけをもとにしたものだけではありません。スペインのアマディス・デ・ガウラなど、時代背景、内容もさまざまな作品があります。つまり神話だけが騎士道物語ではないわけですが、この本にはそういった作品は収録されていません。ある意味看板に偽りありというわけです。この本では、騎士道物語の一端はうかがえるでしょうが、この本が収録しているものは、ドン・キホーテがほれ込んだ騎士道物語のあくまで端の部分だけであるということをこの題名はあらわしていないと思います。
ギリシア・ローマ神話―付インド・北欧神話 (岩波文庫)
1855年に出版された”The Age of Fable”(伝説の時代)という著作の邦訳。全訳ではなく、ギリシア・ローマ神話に北欧神話など少しのおまけをつけた前編の訳であり、後編は「中世騎士物語」として別に読むことができる。末尾の「改版にあたって」によると初版は1927年(昭和2年)となっているが、冒頭の、夏目漱石の手紙(「野上八重子様」になっている)は大正2年(1913年)のものである(訳者は1885年生まれなのでまだ20代!)。「巻末に」の記述からも、初訳は1913年に上梓されたはずである。ともあれ最終版は1978年、90歳を超えてなお矍鑠たる文章を残した彼女の才気には恐れ入る。
小説家の訳であるが、衒いのない平易な文章であり、表記等にわずかの乱れを残すものの、素晴らしい本である。ギリシア(ローマ)神話はヨーロッパ知識階級の常識であり(医学者の記述を見る限り結構怪しい人もあるようだが)、ヨーロッパ文化を知るのにその知識は欠かせない。私としては、ここ数年エジプト史に親しんだ折に、ギリシア神話を何とかモノにしたいという積年の願望を芝崎みゆき「古代ギリシアがんちく図鑑」を入門書として(他にも何冊かの本を読んで)ようやく叶えた、その予備知識を元にして挑んだが、レベルとしてはちょうどよかった。まったく何の準備もなく読んでも十分に理解できる文章ではあるが、神々のつながりや背景が必ずしも懇切に説明されているわけではないから、初心者はまず他の本から始めるのがよいと思う。
但し、「その他の神話」部分はかなり投げやりな印象である。エジプト神話は杜撰の極致、また、キリスト教の立場からの言及が目立つようになり、著者の本性がほの見えている。ギリシア・ローマ神話では淡々と記述していたのに、ヨーロッパ本流を離れた途端に差別意識が前に出たのか。
秀吉と利休 (新潮文庫)
天下の茶道家であった千利休がなぜ秀吉の命によって腹を切らねばならなかったのか。本能寺の変以後の日本史の巨人二人を描く長編小説です。
野上弥生子の選ぶ言葉遣いは特殊な節回しが多く見られて、私には決して読みやすいものではありませんでした。平成の世の日常では必ずしも多くの人に使われるわけではない言葉をわざわざ選び取っているのですが、それが往々にして文学的で耽美的な節回しというよりは、少なからずこなれていないという印象を与えずにはおかないものであるような気がしてなりませんでした。
それでもこの400頁を越える歴史小説を最後まで読ませたのは、利休の死の謎に対して野上弥生子が与えた答が、政治策略的なものというよりも、秀吉のあまりに人間くさい利休に対する複雑な思いに発しているものであることが少しずつ見えてきたからです。
これはひょっとするとシェークスピアの「オセロ」と大変良く似た構図をもった物語なのではないでしょうか。
秀吉がオセロ、利休はその妻デズデモーナ、そしてイアーゴーは石田三成です。
あまり詳細をここで記すことは控えますが、秀吉の次の心情が、利休への複雑な思いをよく表しています。
「あの憎く、腹の立つ、しかもかけ替えのない、そう思うことによっていっそうこころの惹かれる、それでもなお憎く、腹のたつものと完全に絶縁するには、殺してしまうほかはない」(416頁)。
利休にあえて詰め腹を切らせた秀吉。その自分でも制御することがままならない思いの発露は、現代人にも共通するものです。
一方で利休が次のように吐露する気持ちにも目がひかれました。
「人ひとりの御機嫌がどやこうと、それのみを気にして暮らすのには、私もちと草臥れました」(353頁)。
世知辛い今の世に生きる私の心にもとてもよく寄り添った言葉です。
人の世の変わることのない姿を見た思いがしました。