日本の軍歌(二)露営の歌
現在の歌謡界には無い力強い歌声は本当に魅力的です。霧島 昇さんが歌唱されてる”そうだその意気”はオリジナルも良いけどステレオ化されたのも一段と良いです。また、”燃ゆる大空”は藤山一郎先生の歯切れの良さが本当に良く出てます!聴いてると感動してしまいます。レコード会社の所属の都合で当時のオリジナル歌手では無い曲もありますが、是非、皆さんも軍歌を聴いてみて下さい!
わが記者会見のノウハウ―スキャンダル克服の秘訣
「不正を隠そうとしたら」一夜にしてなにもかも失う事例が続いています。
ささやき女将、「私は寝ていないんだ」「社員は悪くありません」
「金儲けして何が悪いんだ」記者会見の一言が命取りになった事例が多く紹介されています。
記者会見の望む前には何を言ってはいけないかを書き出した「ネガティブリストべからず集が必要」と言った具体的なアドバイスが纏められています。
長年掛かって築いてきた信用をトップのたった一言で失わないようにあらゆる方にお勧めです。
記者会見ゲリラ戦記 (扶桑社新書)
世界の常識である「フリープレスの原則」(報道に携わる者は誰でも自由に取材ができる)が、日本では戦後65年間、「常識」ではなかったという。記者クラブという「カルテル」のもと、「大本営発表」とも言うべき情報統制は依然として行われており、知る権利という点で国民は、いまだ「戦中」に留め置かれている。
そうした情報格差の戦場である永田町に、消耗戦を挑んだのが筆者である。フリーランスの立場でなされる現地報告は、ときに悲哀に満ち、ときに笑いを誘いつつ、記者クラブというシステムの異常さを、読む者に実感させていく。たとえば、総務省や人事院の職員が、記者室の枕カバーを縫い付けている光景など、果たして誰が想像し得たであろう。税金により雇用されている職員に、枕カバーを縫わせて何の疑問も抱かず、平然としていられる神経の麻痺状態こそ、まさに仕分けの対象であろう。
来る日も来る日も、倦むことなく折れることなく、「記者会見のオープン化」をめざして粘り強く続けられる筆者の地道な活動を支えているのは、記者クラブが、「報じない権力」を行使し、情報をコントロールする事態への危機意識である。「報道の原点は言うまでもなく現場での取材である。一次情報をどれだけ集め、それをどう伝えていくか。それが報道の使命」(P.221)という信念に、ジャーナリストとしてのプロ意識を見る。
だが筆者は、自身の活動を、野球のグランドキーパーにたとえ、パフォーマンスを見せる選手でない以上、それはジャーナリズムではないと言う。「こんなくだらないこと、他の優秀な人たちにさせられないじゃないですか。もったいなくて」(P.150)とあくまで謙虚である。とはいえ、草が生い茂るでこぼこのグランドで、観客を魅了する試合など行えるはずもない。記者会見という試合会場の整備こそ、真剣勝負の前提であり、同時にそれは、観客へ贈り物でもある。お金にもならない「くだらないこと」に、多くの時間と労力を捧げてくれた筆者に、観客のひとりとして、心から感謝したい。
そして、第一級のパフォーマンスを選手に期待するなら、観客もまた、見巧者たるメディアリテラシーを身に付けるべきことを思う。既存マスメディアが、利益を追求する私企業にすぎず、掲げる「客観性」や「公平性」が「幻想」でしかない以上、観客も自らの意識を覚醒させ、安易な依存体質から脱却すべきである。最高の試合は、競技者だけでなく、彼らを見守り育てる観客がいて、初めて成立する。主権者として、「知る権利」を前に何ができるのか。覚悟と主体的行動が、問われている。