神の手の提言 ――日本医療に必要な改革 (角川oneテーマ21)
日本の医療費は、どんなに上手い医師でも、下手な医師でも同額の手術に対する技術料しか取れず、そこに格差をつけねば技術上達が進まないとか、患者側からの選ぶ目安にならないとか、赤字で医療機関が崩壊するとか、述べている意味は分かるが、これは医療格差を拡大はしないか?
著者の専門である脳神経外科は、既に混合診療が行われている歯科や美容整形とは異なり、代替がない分野であり、格差をつければ、症状に合わせてできるレベルの医師を選ぶのではなく、患者自身の資産力によって医師が選ばれるのではなかろうか?
日本では、高額療養費請求で払い戻しの制度もあり、著者の医療を、医療側の請求金額も異なるのだが、他国と比べて安価で受けられている。
患者の優先順位を何によって決めているのか書かれていないが、選別は著者ではなく、病院側が行っているのならば、払いの良い患者が優先されてしまっている例もあろう。
また、公共事業や公用車・天下りを無駄という点に賛成はするが、格差をつければ総医療費自体も膨らむ。
予防医療に点数が付かず、自身でも生活習慣を変えずに薬に頼り、救急を要する症状でもないのに、通常の診療時間に行けないからと救急の時間に訪れる患者の意識改革こそが、1番に行わねばならぬ事だと考えるが、それについての言及は2P程で、家庭医を整備せよ、だけで終わってしまっているのにも不満。
また本書刊行後の2010年5月、千葉の塩田病院附属福島孝徳記念病院で院長を務め、数多くの脳神経外科治療に携わってきた北原功雄氏が、「医療法人塩田病院との病院運営方針の相違に起因する。」、「運営方針の相違は埋めがたく、本来の業務である脳脊髄疾患の治療にも支障が生じかねず、断腸の思いでの選択となった。」と辞任し、千葉徳洲会病院の脳脊髄神経外科センター長となった。
著者は直接関係なく、事務局長との経営的問題があったのかもしれぬが、本書でこれだけの提言をしている本人の名前を冠した日本唯一の病院で、1番弟子的な医師が離職せざるを得ないとなると、腕は兎も角、提言に一歩でも自身は進めようとしてるのか、人間性としてはどうかと少し首を傾げる部分も出てくる。
長々と苦言を呈したが、基金を作り後進を育てたり、医学生の共用試験・専門医の免許更新制による振り分けなど本書の大筋には賛成するので、減点はしなかった。
自身の自慢話がふんだんに盛り込まれ、そこが鼻をつくが、そこを除けば頷きの多い書ではあった。
ホリスティック医学入門 ――ガン治療に残された無限の可能性 (角川oneテーマ21)
自分の手に負えなくなった時の医師の言葉は、「もう治療法はありません。緩和ケアに行って下さい」と。しかしガンの場合は脳卒中や心臓病とは違い、多くの治療法があり考える時間もある。どんなに進行したガンであっても「もう方法がない」ということはなく、希望を失う必要など全くないと言う。ガンと宣告され手術・放射線・抗がん剤を単独か組合わせて治療するのが「西洋医学」で肉体に働きかける治療法だ。しかし再発ガンや転移で行き場を失ったガン難民は68万人いる。そこで漢方薬、気功、食事療法、サプリメント等々で自然治癒率を高める戦術で、精神や魂という場に働きかける治療法が「代替療法」だ。現在は医師が病名をはっきり告知するしそれは必要であるが、余命告知をすべきではない。何故ならば患者の希望を奪ってしまう権利は医師にはないからだ。希望は医療に欠かせない永遠の真理であり、「ガンはミステリアス」であることからよく奇跡も起こる。これこそ所謂「自然治癒力」が最大限に発揮されたということなのだろう。それがホリスティック医学ということらしい。本書に書かれる「場」「気」という言葉が理解できた気がした。医師と患者の信頼関係や、家族のサポートや、友人関係や職場や地域の中で、いい場に自分を置くことがポイントである。熱中したり夢中になると自分の場を高め、心がときめき生命エネルギーの小爆発が起きるということだ。残念ながらガンには再発や転移があり得るし、その際には大きく気が滅入るだろう。そこで自分の「いのちの場」が重要であり、自分の生が幸せだと思う気持ちが自然治癒力に大きな味方になる。ということで本書から得たものは多く、ガンと付き合うのであれば心や身体の総合的に対処するに「代替療法」の効果も能動的に積極的に取り入れていきたいと思う。
ラストホープ 福島孝徳 「神の手」と呼ばれる世界TOPの脳外科医
多くの医療関係者の方にはお叱りを受けるかも知れませんが、人の身体に直接的・間接的にメスを入れたり針を刺したりすることを唯一許された人々の多くが何故か免許を取得すると同時に、その免許は永久免許でも有るかの様に、免許の上に胡座をかいて努力する事を忘れてしまっている様に思います。そしてお医者様に至っては、1人の人間が医師免許を持ったと言うよりは、1人のお医者様が人間の殻をかぶって居ると思える人が大勢居ます。そして自分より名医は居ないとばかりに威張り、患者さんの訴えにも耳を貸そうとしないどころか患者さんの体型にさえ文句をつけるお医者様もいらっしゃいます。何故この様な事が起きるのでしょうか?
それは人としての心を、助けを求める患者さんの気持ちを察してあげる心を何処かに忘れて来てしまわれたのでしょうね。
心を何処かに置き忘れた者に人を救う事など出来るわけないでしょう!
ご存じの様に医療事故が後を絶ちません・・・命を預けられているという自覚がなさ過ぎるからだと思いませんか?
決して楽な途では無いはずの医療界の門を潜ろうと志した者が最後に手にした物は金のメスでは無く銅のメスだったなんて様になりませんよね。
頭脳明晰なはずのお医者様は、実は人間の心を持っていなかったんです。
まさに天は二物を与えずだったんです。
日本の医療界は、これからどうなってしまうのだろう!と悲しく成っていた処に、まさに名医福島先生の登場です。
以前、某局の番組で日本の有名な心臓外科医の先生が紹介されていましたが、その先生も「私は神の手は持っていないから」と言っていました。
そして、福島先生も同じ事を述べています。
多分、無能な医者(失礼!)で有れば、すぐその気に成って、鼻高々の処なのでしょうけれど、さすがに名医ともなれば謙虚さも持っています。
そのおごることのない謙虚さが有るから患者さんの事を一番に考えて医療行為を行えるのだと思います。そして福島先生に至っては、「僕は、むしろ神様に力を貸して下さいとお願いしている」と述べています。
或る患者さんの家族に病状の説明をしている場面が有り、そこで福島先生は幾度となく患者さんの家族に「ごめんね」と言って謝っています。
それは今の医療技術ではどうする事も出来ない病状に遭遇した時点での福島先生の心の叫びでも有ります・・「もっと自分に力が有ったら、もっと医療が進歩していたら」 その後福島先生はしばらく落ち込んでいたようです。読んでいて、先生の気持ちが痛いほど伝わってきて思わず涙が流れてしまいました。
こんな先生になら、いざと言うときに命を預けてもいいと思いました。
まさに天は二物を与えたと言える名医なのだと思います。超一流の技術もさることながら命と向き合う姿勢の素晴らしさに感動しました。
暗い医療事故のニュースばかりが続く日本医療界にあって福島先生の様な名医の存在は、まさに一条の光を与えてくれるものなのだと思います。