問題解決の心理学―人間の時代への発想 (中公新書 (757))
本書は巷にあふれている主張理由が不明確なハウツー本ではなく、認知心理学や脳科学といったものを根拠に、いかに問題解決を行うかについて考察されている本です。この本を読んだからといって問題解決をすぐにできるようになるわけではないが、問題解決が行われるプロセスについてきっちりと書かれているため、本書を読むことで問題解決力を伸ばすための土台が養われると思います。「こうすれば問題解決ができる!」といった甘い言葉はないので、啓発本としては読まないほうがよいです。
この本は、広く社会人から学生までを対象としているが、高校生や中学生といった、テストのために暗記を強いられる人たちにも非常にためになる本です。問題解決をする上で頭に知識や経験といった情報が入っていることがいかに重要か、本書はその点についても書いています。テストの点数に直結はしないでしょうが、今やっている勉強の意味が少しわかるかも知れませんので是非読んで見てください。
『デジタル脳』が日本を救う - 21世紀の開国論
二十一世紀日本への提言である。先行世代には後発世代にいかに協力するか、後発世代にはどのようなことに留意してほしいか。
一九四六年生まれの著者は、世界のデジタル化の先頭に立って仕事をしてきた。電子メールを初めて使ったのが一九七六年にアメリカの大学にいてであり、一九八六年ごろ村井純氏に誘われて北海道初のインターネットサイトを勤務先の北海道大学で開いた。年齢的には先行世代に属し、仕事上は後発世代の最先端を歩んで来た。つまり、両者の架け橋になる素質、資格は十分なのである。
著者は一九八〇年以降に生まれた人々を「ネット世代」と呼ぶ。「デジタル革命とグローバリズムの時代潮流に合った柔軟な思考のしかたや生活のしかたのできるネット世代」(P223)の人々を指して「デジタル脳」の持ち主だと定義している。この世代の人々を「頼れる若者」とも呼び、彼らが活動しやすいように協力するのが「大人たち」の役割だとする。
「頼れる若者」になるために「ネット世代が学ぶべき大切なことの一つは、『自分が社会の中で生き、社会によって生かされている』ということの意味を深く理解することでしょう」(P60)。ここでの「社会」は、国内、国外にわたる。
そうした若者たちを増やすために、新しい教育が重要だと提言している。「世界の中で生きる子どもたち一人ひとりの生涯にとって最良の教育」。その教育は、「コラボレーションを主体とした学習」、「ディスカッションを主体とした学習」で構成し、目標として「能動的な学習法」を身につけさせようという。
その「能動的な学習法」は、想像力、構想力、集中力、並行処理力で構成される「コミュニケーション力」を高めることで知情意のバランスがよくとれる人間を醸成できるとする。
著者はそのように説いた上で「教育現場への新提案」、「学習継続力」を身につけさせることを提示している。その力は、常に「探究」すること、高校、大学で深い知識を蓄えること、「学習方法を学習する」ことで実現するという。いずれもこれまで言われながら重視されずに過ごされてきた事柄である。
教育は学校だけで行われるものではないと承知しながら、建前的に自立している大学が教育革命の先頭に立つのがいいと著者は主張する。「世界の中の日本」になるべく、頼れる若者を増やすために大人たちは協力すべきだともいう。同感である。しかし、「ネット世代」の若者たちは、かなりの比率で大人不信、社会不信の傾向が強い。大人世代は、自らがそのモデルとなるべく可能な努力をすべきであろう。
老人たちがデジタル化とグローバル化を恐れず、その深浅を問わず努力して実行すること。それが先行してこそ、「信頼できる(できそうな)大人群」を形成できるのではないか。「頼れる若者群」は、その「信頼できる(できそうな)大人群」と響きあえてこそ成長するのだと思う。
著者の提言がよく整理されていながら、その実践において大人への配慮が不足してはいないかと気にかかった。もっとも、著者をはじめ「信頼できる大人」はいる。それを「群」にする方法を編み出してほしい。として、これは個々の大人のひそやかな努力によるのかもしれないとも思う。自分への課題としておく。
心の社会
この本はすばらしい本です。人工知能をどう実現するかという目標に向けて、さまざまな分野の知見に支えられた統合的な心のアーキテクチャを提案しています。曖昧すぎるなどの批判もありますが、発想を妨げず、かつ正確に伝わるような抽象度で、ひとつひとつの節が非常によく考えられ洗練された文章で書かれています。あまりに深い内容が、あまりにさらっと書かれていることに感動すら覚えます。人工知能に興味を持つ人ならば、一読ならぬ二読、三読をお勧めします。