呪いのミイラ
ミイラと探検隊、それぞれが自分の目的達成を目指して
ピラミッド内を探検するゲームです
まず、ゲーム開始時にミイラ担当のプレイヤー1人を決め、
残りのプレイヤーが探検隊を担当します。
ミイラの目的は探検隊を規定の回数捕まえること、
探検隊の目的はゲーム開始時に配られた5枚のカードに描かれた
財宝をすべて集めきることになります。
ゲームはついたてを挟んで行われます。
ミイラ担当のプレイヤーはついたてを挟んで
探検隊と逆のサイドに座り、磁石コマを使ってミイラを動かします。
探検隊からはミイラの位置が見えますが、
ミイラの側からは各探検隊の位置が見えないようになっています。
プレイヤーはサイコロを振って探検隊コマ/ミイラコマを動かします。
集めるべき財宝のマスに止まったらカードを公開し、
財宝を手に入れることができます。
財宝の落ちている位置はミイラにもわかるので、
財宝を取った直後はミイラに捕まるリスクが高まります。
見えない探検隊の位置をどう予想するか、
どうやって捕まらずに財宝を集めることができるか、
ついたてというギミックを利用したとても面白いゲームです。
小さい子どもと遊ぶときによく持ち出しますが、
大人同士で顔色を伺いながらゲームするのも楽しいです。
百席(40)庖丁/ミイラ取り
本シリーズの初版は30年前に遡ります。当時は、非常に画期的な企画でした。今は人情噺集成と百席が一体になりCD化されています。後者は円生がファンというより、後世の落語のテキストとして残す。という想いが相当あったのではないかと思われます。
なぜなら純粋に落語を「楽しむ」のであれば長すぎる「まくら」。包丁などはLPではA面の大半は「まくら」でした。時間に制限されない。という条件の元。40分を超えると両面、未満であれば片面、と決めて円生はこの仕事に精力を注ぎ込みました。
一部に疑問を残しながら、今でも円生百席を時々楽しんでいます。
尚、「人情噺集成」である「怪談 牡丹灯篭」以下の噺にはそのような意図は感じられません。
今となっては、大変貴重なシリーズです。落語ファンのみならず、落語家もこのテキストを活用し、物真似でない自分の「落語」を創造する糧としてください。円生は志ん生のように大いなる個性は感じさせないけど、怖ろしく旨い噺家でした。
ヘンリーエクスプローラーズ
まぁ、マニアックなゲームです。プレイヤーは半魚人やガイコツなどの珍獣と闘うガンシューティングです(笑)とってもKONAMIの作品とは思えません。まぁ自分は好きですけど(笑)
死体入門 (メディアファクトリー新書)
日本の社会は死体を見ることを極端に嫌います。
もし、テレビの事件報道などで、死体が写ると、放送局にクレームの電話が殺到するらしいです。
「死者を冒涜するな。」という理由で。
死体から目をそむけることによって、死について考えることを避けようとしているのかもしれません。
しかし、人間はいつか死んで死体になります。
死を忌避する気持ちはわかりますが、あまりにも敬遠すると、かえって生きることの大切さがわからなくなるんじゃないでしょうか。
最近、自殺する若者が多いです。
死ぬのは勝手ですが、自分が死んだらどうなるか、彼らは理解しているのでしょうか。
「命を大切にしよう。」とか「生きていることはすばらしい」とか100万回言うよりは、
死体を見せることです。
冬の厳しさを知らない人に春の喜びはわかりません。
同様に死の悲しさをを知らない人に生のありがたみはわかりません。
日本において、少子化が進み、自殺者が多い最大の原因は、死を隠蔽することにあるのではないでしょうか。
著者のユーモアがあちこちにちりばめられていて、とても楽しい本です。
お勧めします。
体は全部知っている (文春文庫)
短編として散文的にさらっと書かれている。
でも読んでいるうちに、心の奥底まですうっとメスが入ってくる、そんな印象を受けた。
清清しく感じる意味での「癒し」とは異なる。
テーマは、どちらかといえば人間の陰の部分。中にはエグい描写もある。
第三者的に読むのだが、五感の本質部分で共感している自分がある。
月並みな表現だけど、日常で無意識のうちに忘れている感覚を呼び起こしてくれる作品。
押し付けがましくない寓話としても受け取ることができる。