文藝春秋 2011年 03月号 [雑誌]
Amazonさんで予約しました。
芥川賞の二作品が読みたかったからですが読み終えてしまっても、端から端まで活字、活字、活字!
どの記事もとても面白く、活字好きには堪りません。
政治、健康、音楽、事件…あらゆるジャンルの記事が盛りだくさんで夢中になって読んでいます。
文藝春秋はこんなに面白かったのか、と気付くのが遅すぎました。
特に「100歳までボケない 日野原×白澤メソッド公開」が興味深かったです。
きことわ
複数の登場人物の記憶の食い違いから、
過去と今が混在しながら進むような物語です。
「夢」というツールを上手く使いながら、
白昼夢のように、半分起きながらの回想シーンがあり、
まず、その手法が、
この物語に合っていて、
読み始めの入り方が凄く良かったのが印象的。
さらに、自分が田舎暮らしだったという事もあり、
ふとした田舎の家の描写や、幽霊を怖がる子供のセリフが、
ほぼ追体験のようになり、共感を感じました。
しかしながら、後半に入っても、
意味深いエピソードや、興味深い現象が、
そのまま通り抜けた状態で、大きな伏線にはならず。
記憶の断片がそのままで、淡々と終わるのが残念。
確かに、この『量が質に変わっていかない感じ』が、
今っぽいのかもしれないのですね。好みもあるのでしょう。
でも、やはり読み終えて、
個人的には、トータルとして物足りない感覚を受けました。
なので、
踏み切りのシーンも、短い言葉が乱舞して、
心と音とがシンクロしはじめるのに、
あと少し、自分の懐には落とし込めずに終わってしまいました…。
ああ。
なんか惜しい!!
最後に、
この著者の文章は今回が初めてなので、
慣れもあると思いますが、
文字を工夫して、意図的に「ひらがな」を交えた文章が多く、
読みやすい反面、その逆もあります。
なので、読んでいて、良いところで止ってしまうのは、
少し勿体無いかなぁと思いました。
切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話
根源的に考えることの意味について改めて教えられた刺激的な一書。読めば判る。
「彼(=ルター)は気づいてしまったのです。この世界には、この世界の秩序には何の根拠もない、ということに」(58頁)。
「彼ら(=ルター派)は、教会法の管轄下にあった事柄を世俗国家の法律の管轄下に移行させることにしたのです。・・・・・・ ルター神学と君主権は接合され、聖俗世界を一挙に支配する法が求められることになったわけです。プロテスタント国家、プロテスタント都市は、教会法の管轄にあった事柄を引き受けることになる。・・・・・・ これはつまり教会法の下にあって独自性を保っていた俗権の「世俗法」が「聖なる」ものとなった、ということを意味するのです。・・・・・・ つまり、「国家が宗教的になった」ということを意味するのです」(72頁)。
「ローマ法を注入され、書き変えられた教会法のテクストは絶対的に自己を更新し、代謝され、体系をなし、別の「法の集成」として生まれ変わります。これを「中世解釈者革命」と呼ぶ。そしてこの革命の果実たる新たなる法を枢軸に据えた「ヨーロッパ全体を統一するキリスト教共同体」すなわち「教会」が成立します。そうです−これこそが、近代国家の原型となるわけです」(136〜7頁)。
「中世解釈者革命は、情報技術革命だったのです。・・・・・・「データベース」として法文を「検索」できるようにしたわけです。・・・・・・ つまり、人間を統治する道具が「情報」のみになったのです。情報としての文書だけが、規範にかかわることになったのです」(152〜3頁)。
「われわれの情報と書類の世界、効率と生産性の世界はここに到来したのです」(157頁)。
個人的には、世界的に混乱の予感もする2011年の年初にこのように「ラジカル」な書物を読み得たのは、正に読書の醍醐味であったと思うこと頻りである。