Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossoms
恥を忍んで申しますと、本書の出版が決まったと知る前、
「このマンガは皆に読まれなければ」と英訳作業を進めていました。
夕凪の街 桜の国 にぺたぺたと付箋を貼り付けて、ひとつひとつの会話をああでもない、こうでもないと訳して、英語を解す友人たちの顔を思い浮かべていました。
なかなか遅々として進まない素人翻訳を尻目に、Town of Evening Calm, Country of Cherry Blossomsと本書が生まれました。
とても素直な素敵な翻訳でした。絶妙さにひざを打つことしばしです。
マンガを英訳する場合、読みやすさを求めて左右反転版にしておこすことがしばしばあります。
でも、本書ではめくるページはそのままに、狭い縦長のふきだしにそのまま英語が座っていました。
その手の加えなさに、原著へのリスペクトを感じます。
そのままでは、日本の背景を知らない英語文化圏の人には理解が苦しいだろうと言うところも、注釈なしでそのまんまです。
しかし、英語のサイトの書評とかを読んでも、きちんとこの本の著しているところは伝わっていることが分かります。
非常に普遍性の高いマンガだと言うことを改めて感じました。
この本を読み終わって、自分でつけた付箋は全部はずして捨てました。
この訳のほうがずっと伝わるなぁ。
夕凪の街桜の国
「夕凪の街」では、原爆の惨禍の中で生き残った被爆者の苦悩や思い、「桜の国」では、自分のルーツや社会的立場を見つめ直す被爆二世を中心に描かれている。被爆二世と言っても健康状態や置かれている立場、考え方等は様々であり、偏見を与えることなく描写することは大変難しいと思われるが、この作品では、多くの被爆二世に共通するであろう悩みや問題が、主人公 七波の様々な思いや心のゆれを中心に的確に描かれている。物語は被爆二世が受ける結婚差別にも触れている。描き方によっては差別の助長につながりかねないが、そこは、被爆二世である凪生の恋人 東子を含め、問題にきちんと向き合い、乗り越えていく主人公達の姿を描くことで、しっかりフォローされている。
東子は両親に凪生との交際を反対されるが、広島の平和資料館を訪れ、被爆者問題への理解を深め、認識を新たにしながら、凪生への愛を貫く決意を固めていく。
21年前(結婚する前)、妻と広島を旅し、平和資料館も訪れた。被爆者、被爆二世の問題を理解し、納得した上で結婚してほしかったから…。この作品を読んでいたら、その時の記憶が鮮やかによみがえってきた。あの時の妻は、きっとこの作品の中の東子そのものだったのだろうと思う。
一般の人にとっても、被爆二世にとっても、被爆者、被爆二世の問題、…核、核兵器の問題を改めて見つめ直し、向き合っていくきっかけになる、大変すぐれた作品だ。
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)
穏やかな画風で、何気ない時間が流れて行く。あぁ、戦時下の日本も、実はこんな、まるで、ちびまる子ちゃんやサザエさんの話のような時間と生活があったんだなぁ、と、改めて市井の人々のしたたかさと明るさ、けなげさを感じ、それだけでも、ほのかに涙を誘う。
私たちも、いま幸せを感じるとき、あぁ、永遠にこの時間、この家族この年齢、この構成、このままでいって欲しい。このままずっと変わらずにいきたい。時間が止まって欲しい、と思うときがある。
そ、今の私たち、「平和な」時代にいるものでもそう思う。
そして本編の皆々も、けっして安全で平穏な時代に生きているはずではないが、あぁ、このまま時間が止まればいい、と思うほどに幸せな時間を感じる。
そして、それ以上に、史実上、彼らを待ち受ける運命を私たちは予感する。
どこの場所でもない、史実上、彼らの住まう場所が重大な意味を持っていることに、我々は気がつくだろう。
そう、だからこそ。あぁ、時間よとまれ。本当に止まれ、と、この小さな世界の片隅の生活を、どうか見過ごしてください、と。
私はいま上を読んだところで、「中」、「下」と、本棚にある。
この時間を止めることは、ただ、この上だけでやめてしまえばいい。しかしわかっている。この作品としての面白さ、そして、史実が物語ることを知っている私は、この時間を止めることはできないのだろう。
そうして、このうららかな冬の日差しを受けて、今日、「中」への時間を進めてしまうんだろ。
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)
舞台は原爆投下の1945年……夏。
悲劇的なストーリーが描かれていくのかと思ったら、
上中巻同様に、淡々と話が進んでいく。
ときにユーモアを交えながら、相変わらずのゆったりとしたというか
ほのぼのというか……そういうあたたかさに包まれて、そして……
「悲劇」が描かれる。
まるで、「戦争漫画のセオリー」へのアンチテーゼのようだった全3巻。
それを「あざとさ」と見た人もいただろう。
けれども私は、
こうのさんは、「そういう描き方をしたくなかっただけなのだ」と思う。
原爆投下を描いたこの下巻の表紙の暖かさの意味するものを
考えなければならないと思う。
戦争とは……と議論をふっかけるようなストーリーにせず、
あえて「日常」を描くことで、
その日常がじわりじわりと壊れていくことを伝えたかったのとだ思う。
しかしその中に、
「それでも私たちは生きていける」というメッセージがこめられている。
本当に悲しいこと、むごいことは、無理に悲しく伝えなくても、
きちんと伝わるのだと、読み終えて改めて思った。
もういちど、上巻から襟を正して、しっかりと読み返してみたいと思う。
著者がついに一度も大声では叫ばなかった「平和」というものの意味を
考えながら、傍観者にならずに。