中央公論 2010年 01月号 [雑誌]
表紙が通俗月刊誌みたいな安っぽいものになってしまって残念なのだが、今月号は目が飛び出るような記事が軍事関係で2本も掲載されている。
元国防省のR・ローレンスによれば、米軍と自衛隊の間で緊急時の作戦行動計画が詳細に詰められておらず、その理由は米軍との共同作戦の詳細な
検討を行うことに対する自衛隊制服組の拒否反応にあるというのだ。つまり、「今北朝鮮がミサイルを撃ち込んできたらどうするか」といういかにもありそうな想定に対して、米軍と自衛隊がどのように対応するのか全く詰められていないというのだ。ローレンス氏によれば、協力関係のある欧米諸国間では全てそうした行動計画の詰めが行われており、アジアにおいては米軍と韓国の間でも行動計画が詰められているというのに、日本だけがそうした行動計画の検討を米軍と共同して行おうとしないというのだ。
これは今日本国内では最も大きな問題となっている普天間基地の移転問題よりも、米国にとっては大きな問題であり、もしこうした状態が続くのであれば、日本の防衛は米軍が担うことができないから、自衛隊に全てまかせるべきだというのだ。これは大変な話である。
なぜ制服組はそのような姿勢を示しているのだろうか?。シビリアン・コントロールに反すると世の中に受け取られるからだろうか?もしそうなら、早急に政治の場で議論し、結論を出すべき問題である。
またその普天間基地移転問題については、元防衛省の守屋次官によれば「話がすすまないのは、移転先の基地建設をなるべく地元にお金がおちる形にしたいという一部の沖縄業者のエゴと、環境問題や地域の宗教的聖域への配慮の間で調整がつかず、沖縄県内で意見がまとまらないうえに、政治家も事情がわからずに沖縄県に振り回されているせい」なのだからだそうである。
橋本元総理と梶山清六氏の「沖縄のために普天間基地を何とか撤去したい」という強い思いにより、始められた返還へのステップが、目先のことしか考えない沖縄関係者や日本の政治家のために、無に帰そうとしているというのである。
日本には本当にものごとを地道に考えて、解決策を考えていく人がいなくなってしまったとつくづく思う。今月号は、全ての国民が読むべきである。
「普天間」交渉秘録
防衛庁から防衛省へ、悲願の昇格を主導した、守屋もと事務次官が2004年から2007年までの間、普天間米軍基地を名護市辺野古へ移設する案をまとめる交渉を詳細な日記に基づいて綴った本だ。移設案は2009年の民主党の鳩山政権樹立によって迷走した挙句、1年を経てまた本書に示す原案の近くにもどってきた。今後、種々の案が提案されるだろうが、本書を読んでおけば種々の案の利害得失、問題点、実現可能性などがよく分る。
さらに何よりも、守屋氏が「引き延しと二枚舌」と表現せざるを得なかった実名登場の沖縄の政治家達、沖縄県知事、名護市長とそれを取巻く地方官僚らの政治手法とやり方がまざまざと見えてくる。それらは今後も続くだろう。
すなわち、住民には基地反対を唱えるだけで、ハラの中は別だ。基地の「被害」を言立てることによって、年間5800億円にも及ぶ国からのオイシイ給付をできる限り永続させたいのだ。その上、もっとお金を出せ、というのが沖縄の政治家らの基本的スタンスだ。民主党政権との折衝を垣間見ても、本書から得られた知見で測ればよく見えてくる。とてもじゃないが、民主党政権では交渉上手、脅迫上手のオキナワには太刀打出来ないだろう。沖縄の交渉上手はほとんど北朝鮮並みだ。
また本書に登場する国政の政治家群像も、小さいエピソードから長所短所が知り得て興味深い。それにしても、守屋氏は惜しい辞め方をした。今後の活躍を祈りたい。