理髪店主のかなしみ [DVD]
髪を切りに来るおじさん
なぜか首に首輪を巻いてペットのごとく鎖で飼われながら
後ろからは美女
そう彼はマゾだった・・・
あんましこんな映画見たことないからおもしろかったです。
イケズの構造
京都ローカルによる京都方言の修辞法に関しての解説書。京都弁に於いてその婉曲表現が如何に起こり、如何に発達を遂げているのかの論を展開している。千年の都京都は常に異文化人の流入を受けていた訳で、そんな環境下にあってどうしたらば自分たちの日常生活を安寧に保つことができるか、その粋が「京都弁におけるイケズ(婉曲表現)」にあると説く。
「ものを知らないのは恥ではない」という正論を振りかざす異邦人に対して、「知ろうとしない、知って蓄えようとしないのは十分に恥である」という前提があると説く。ここまではさておき、京都人は人一倍羞恥の感覚に敏感で、公の肝心な場面で大きな恥をかかないように私的な日常のあちこちで小さな恥をかいて恥の本質=人間関係の距離感を学ぶ機会が日常生活の中に仕掛けてある--とまで説くのはどうだろう。
京のぶぶづけだけではない。「一見さんお断り」もそう。場違いなところに紛れ込んでしまった時の気まずさを事前に防ごうとする智恵、他人に恥をかかすまいと努めている証明かもしれない。でも吾妻エビスにはちょっと身びいきに過ぎる気もした。
本書の中で、シェークスピアの台詞や、源氏物語を今様の京都弁で訳して見せた藝は見事。皮膚感覚としてぴたりとくるものがある。
京都弁の中にある襞、いけずが言葉に陰影を与えているものではあるのだろう。ただ、願いが叶うことなら、いけずの中では暮らしたくはない。気疲れしそうだから。
そうはいっても筆者の説明の中にでてくる言葉を愛用している自分もいる。それは「そやねえ」。1)うんどうしようか、という協調をともなう返答。2)それで構わないよという賛同。3)面倒臭くなって生返事化した応対。4)完全な投げやりの姿勢--いずれもこの一語で済む便利さ。
大人養成講座 (扶桑社文庫)
社会の組織内の常識本です。日常生活でよく見かける場面での身の施し方が判りやすく載っています。フォーマルなマナー本とは違って、エッセー調な内容になっているので、とても読みやすい本です。読みやすいだけでなく、具体的に役に立ちます
ジャーマン+雨 [DVD]
じつはまだDVDを見ていない。今日、早稲田松竹で『ウルトラ・ミラクル・ラブストーリー』との二本立てを見て、その場で購入した。
最近ブレヒトの描く「やられても絶対やられない女たち」に興味があるのだが、横浜監督の描くこの「ゴリラーマン」の物語は、ブレヒトが目指した「異化」さえ蹴っ飛ばすかのようなシュールさ加減。時空を越えてブレヒトさんに見せてあげたい、この映画。
かわいそうだとか、わたしはいいけどみんなはこまるでしょ、なんて偽善まじりの言い訳でしかないんだと、さっぱりと気付かせてくれる爽快感。
ひとつの価値観しか認められないヨノナカにあって、その価値観からあぶれたヒトのことを、わたしたちは「かわいそう」と言っているのだろうけれど、ああこの「かわいそう」ってなんて大きなお世話かしら!
日本には、渡辺聡子がいるぜい! と溜飲が下がることしきりです。