プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (ワイド版岩波文庫)
大学時代に読んだ本書を20年ぶりに読み返してみて、経営書としても貴重な存在であると再認識した。
我々がビジネスをしている近代資本主義が、実は高い精神性を持った活動に裏付けられ誕生したことをウェーバーは提示するが、同時に彼は、一度成立した資本主義はその高い精神性が欠如しても存在しつづける構造を内在化しているとの歴史的アイロニーを指摘する。
日本企業の経営に高い精神性が欠如しつつあることを懸念する一経営者として、資本主義誕生の原点に触れることで、その思いをさらに強めることとなった。
国民国家と暴力
アンダーソンのような国民国家批判の本ではありません。むしろ、暴力を管理するという観点からみた国家の成立史と考えた方が適当な内容だと思われます。書かれた年代はたしかに古いのですが、現代でもなお新鮮な内容を失っていません。ただ、ひっかかるとすれば、ギデンズの思考法がバランスが取れている反面、二項対立的なのが気にかかるかたもおられるかもしれません。最終章で円環的対立構造の図がいくつか登場しますが、ギデンズにとって国家とはこの円環構造がいくつか重なった、重層的なイメージとして捉えられているのです。このようなバランスの取れた(取れ過ぎた?)複眼的思考が遺憾なく表現されている本だと思います。この弁証的国家観が気にならなければ間違いなくお勧めの本ではないでしょうか。
職業としての政治 (岩波文庫)
本書は、中世的な兼業・名誉職的な政治家の姿から、収入を伴ったひとつの職業としての政治職へと変化した際に、起こった問題について考察したものである。
ここには、他の政治学の古典と同じく、人間の性悪的な姿を前提とする進め方であり、ここに、政治の本質を見ようとする。そしてさらに、政治にこめられた本質的問題として、そこに暴力すなわち、強制力のあり様を前提として思考を進めている。
前者に関しては、人間にある虚栄心が腐敗した政治のあり方へと導く点を指摘し、後者については、「政治にタッチする人間は、権力の中に身をひそめている悪魔の力と手を結ぶのである」と指摘している。
ホッブスやマキャベリ等の著作を見るにつけても、「性悪的な」人間のあり方と言うのが「政治的」なも!のを規定する直接の要因であり、そしてそれを統制し、ひとつの国家を形成するには「暴力」が前提として存在しなければならないと言う点が、まさしくホッブズが「万人の万人に対する闘争」の止揚こそが国家と論じたように、政治の本質といえるだろう。
それゆえ政治は面白い、しかし、合理的思考で割り切れないものである。