史記 (1) (小学館文庫)
「文章は永遠の命を保つが、社稷の命ははかないものだ」と、
本の帯(伊達宗義氏)にある。
歴史に学ぶ、とよく言われる。
その歴史は書物、文字によって表された記事を根底に置く。
“人生”最高の戦略本 とあるが、
なぜにこの『史記』がもてはやされるのか。
疑いと、猜疑心、権力闘争、喰うか喰われるか。
何やら物騒な雲行きである。
李陵・山月記―弟子・名人伝 (角川文庫クラシックス)
渡部昇一氏が幾つかの著書で、中島敦『弟子』の生き生きとした孔子像に影響を受けた、と記しておられるので原典に当たってみました。『弟子』の他、本書には、漢の武帝に仕え僅か五千の歩兵で匈奴と果敢に戦った李陵を題材とする『李陵』、弓の技は神仙に至るほどの名人・紀昌の不思議な晩年を扱った『名人伝』、虎になった詩人の話『山月記』、西遊記でお馴染みの沙悟浄が三蔵法師に出会うまでを描いた『悟浄出世』と悟浄の視点からの悟空や八戒、三蔵法師の人柄を書いた『悟浄歎異』、が収録されています。
6編全てが珠玉と言ってもよい出来栄えです。画数の多い漢字がやたらに多い文章にもかかわらず、一度読み出すとあっという間に読み切ってしまう面白さはモチーフとなる人物の躍動感と人間臭にあります。『弟子』では『論語』の堅苦しいイメージはなく、遊侠の徒だった子路の視点から、実学に富んだうえで理想を掲げて生きる孔子像が生き生きと描かれています。この孔子像は生身の人間が持つ生活感があり、それでいて尊敬の念を減じさせることがない素晴らしい描きぶりだと思います。
また、『山月記』は我が身を強く省みさせる一編です。人から虎に身になった主人公の李徴の独白に現れた欲とそれによる苦悩は胸を打ちます。単に浅ましい存在と李徴を断じることはできません。彼を虎たらしめた欲は私たちも抱えているものだからです。虎の身で再会した友人・袁慘(えんさん)に困窮した妻子への援助を頼む前に、虎の身では世に出せなかった自分の詩を託す気持ちは仕事で身を立てようとする人には多かれ少なかれ存在する心情ではないでしょうか。
私は文学研究家ではありませんが、中島敦の作品は登場人物の心情描写が的確でいて簡潔でありながら、それでいて人物ごとに異なる思考と行動を明確に、差異を付けて描き切っている点に強い魅力を感じます。ぜひ、手に取って頂きたい一冊です。
史記列伝 1 (岩波文庫 青 214-1)
確かに小説とは違って読みやすい本とはいえないし、一回で頭の中に入るといった内容でもない。しかし中国の歴史、さらには東洋の歴史を知る上でのもっとも貴重な資料であり、今後ともその価値が決して衰えることのない重要な作品であることはいまさら私の口から言うまでもないことだ。
一応私は星五つをつけたが、正直に言えばこの作品に評価というものは必要ないし、そういった対象ではない。しかしちょっとこう言いたくもなる。
「素晴らしい作品だ。ひょっとしたら三国志よりも面白いかもしれない。しかし我々現代人のやわなあごには固い食べ物のようだ。」
「せいぜいやわらかくなるまで良くかんでもらうさ。」
ヨーゼフ2世とモーツァルトとのやり取りをパクらせてもらった。