Imagined Communities: Reflections on the Origin And Spread of Nationalism
本書『想像の共同体』は、数あるナショナリズム研究のなかでも、もっとも有名な著作のひとつであろう。著者ベネディクト・アンダーソンや著作について知らなくとも、「想像の共同体」という言葉を知る人も多いと思う。本書は、ゲルナーの『ネイションとナショナリズム』などと同様、ネイションを近代化の産物と捉える。とりわけ、著者が「出版資本主義」と呼ぶ、印刷物の流通によって、ラテン語を共通語とする特殊キリスト教的共同体以外でも、人々の流動化が進むことによって、ネイションの形成へと向かうことになる。いずれにせよ、ネイションとはいわば「擬制」であり、アンダーソンは、それゆえネイションを、「想像の共同体」と称したのである。本書を、アンソニー・スミスの著作と対比するのは興味深い。
想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (ネットワークの社会科学シリーズ)
本書は具体例が豊富で、歴史的知識を多く前提しており、私の脳裏には読書中、猫に小判という言葉がちらついた(同様に難解に思う読者は、各章最後のまとめらしき部分を先に読むと入りやすいかもしれない)。むずかしいなかでも、国民意識は自然なものでないという話はよく伝わってきた(自然でない「発明品」であるものに命までかけてしまうんだからなぁ)。著者は国民意識がつくられるにあたって「出版語」が重要だったと説くが、どういう点で重要か。それが比較的わかりやすく書かれた場所があったので紹介してみる。「想像の共同体」というときの「想像」の原点に触れた箇所なので、ここを理解すれば全体の半分は理解したといってよいと思う(ことにする。猫だし)。
「〔国民意識の基礎を形成するに当たり出版語の果たした役割として最重要だったことは〕出版語が、〔聖なる言葉である〕ラテン語の下位、口語俗語の上位に、交換とコミュニケーションの統一的な場を創造したことである。フランス語、英語、スペイン語といっても、口語はきわめて多様であり、これら多様なフランス口語、英口語、スペイン口語を話す者は、会話においては、おたがい理解するのが困難だったり、ときには不可能であったりするのだが、かれらは、印刷と紙によって相互了解できるようになった。この過程で、かれらは、かれらのこの特定の言語の場には、数十万、いや数百万もの人々がいること、そしてまた、これらの数十万、数百万の人々だけがこの場に所属するのだということをしだいに意識するようになっていった。出版によって結び付けられたこれらの読者同胞は、こうして〔中略〕国民的なものと想像される共同体の胚を形成したのである。」(P.84)
Webコミュニティでいちばん大切なこと。 CGMビジネス“成功請負人”たちの考え方
「みんなの就職活動日記」の伊藤氏など、
有名なウェブコミュニティを立ち上げた人たちが、
どうしたら人が集まって、盛り上がるコミュニティを作れるのか、
を実体験をもとにまとめた実践的な本。
SNSやCGM、クチコミが、ビジネスとしてどうなのか、
といった本はいままで何冊もあったけど、
こうした切り口の本は、ありそうでなかったのではないでしょうか。
コミュニティやウェブサービスを作りたいけど、
難しそうとか、管理はどうしたらいいのかわからないと思って
あきらめている人は多いと思いますが、
この本を読むと、ちょっとやってみようかなと思えてきます。
文章も読みやすく、連休中にスラっと読めました。良書。
jQueryクックブック
jQueryは紛れも無いjavascriptだが、まるであたかもそれがjQueryという言語であるかのように錯覚してしまう。
それほどまでにjQueryは美しく素晴らしい。
だが恐ろしいほどにとっつき易いが故に、使いこなすことが難しい。
大して使いこなせていなくても充分なほどパワフルなjQueryだが、本書はそのjQueryを使いこなすためのヒントを与えてくれる。
jQueryの見落としがちな素晴らしい機能の数々をテストケースと共に網羅し、またピュアjavascriptを使った方が良い場面や、同じ結果が得られる複数のソリューションについてどちらがより優れているかなどにも言及している。
内容は高度ではないが、価値の高い知識が詰まっており、jQueryを使う機会が少しでもあるならば読んでおくべき1冊なのは間違いない。
In Patagonia (Vintage classics)
パタゴニア。チリとアルゼンチンの国境南部に拡がる広大な大地。氷河によって削られた荒々しい山肌を見せる屹立した山々。豊穣さとは無縁の風吹きすさび砂塵舞う大地。近年では多くの旅行者が訪れるようになり、荒々しい自然の魅力にあふれた土地として、日本でも有名になりました。
しかし、ブルース・チャトウインが描くパタゴニアは、テレビ、写真集、旅行ガイドといった媒体を介した私達の想像から遠く隔たっています。むしろ、彼の視線が捕らえたパタゴニアの上を、他のメディアが膜で覆ったと言った方が正しいかもしれません。
チャトウィンをパタゴニアに駆り立てたきっかけは、幼い頃に祖母の家で見たブロントザウルスの皮でした。このきっかけこそ郷愁や感傷といった感情が伴っていますが、彼の地に足を踏み入れてからの彼の旅は、郷愁や感傷が排除された、透徹した視線に支えられたものとなります。この土地で過酷な、或いは静謐さに満ちた生活を送る人々は、其処に辿り着いたというよりは、流れ着いたという人々が殆どです。不毛な土地の上で人間の本性が試され、文明による虚飾は無残に剥ぎ取られます。そういった剥き出しの人々と彼らに容赦することのない自然を、チャトウィンは透徹した視線で見つめ、静謐な文章で紙の上に記していきます。
感情に満ち溢れた紀行文という前提で読み始めると、淡々として乾いた叙述に戸惑うかもしれません。しかし、やがては、パタゴニアという大地と其処に暮らす人々の過酷な営みにおいて、表層の乾いた印象の奥深くで確かな脈動が打っていることが感じられることでしょう。ここには、善し悪しとは関係なく、安寧とした生活を送る私達とは全く異なる人間の在り方が、鮮やかに提示されているのです。