私生活のない女 ヘア無修正版 [DVD]
昔、姉が映画を見終って家に戻ってきて、パンフを見せてもらったら(確かシネマスクエアとうきゅうだったな)、なんと「私生活のない女」だった。そのとき姉は高校生だったろうか…。
僕はテレビで「ダーティーハリー」などを観て、子どもながらにベッドシーン等には慣れていたつもりだったが、さすがに「お姉ちゃんってすごい」と思った。それがトラウマになっているのか、いまだにこの作品は観ていない。
「狂気の愛」や「ポゼション」は映画館で観たのに…。
愛の嵐-無修正ノーカット完全版- [DVD]
戦争が終わり、ナチスが滅んで30年近くのウイーンのホテル。偶然、旅行者として投宿した一人の妙齢な女性。チェックイン。そこで、会ってはならぬ男と「再会」する。発端は30年前の大戦中、ナチが支配する世の収容所、美しく虚無的な少女がナチス幹部の娯楽のため、上半身裸、しかもナチスの衣装を身にまといなんとも退廃的な踊りを強いられます。それがカバー写真の絵です。この少女を演じたのが、シャロット・ランプリング。痩せた体に小さな乳房、一種異様な雰囲気、顔はどこまでも無表情なままで隠微な踊りをナチスの前で興じる。悪夢のような世界。圧倒的に衝撃的で印象的なシーンでした。女性監督ゆえの感覚かもしれません。再会した二人は当然のように驚く、ふつうなら嫌悪感を抱くところでしょう。そうならないのが男女の不思議な愛憎なのだろうか。罵りあいながらも、いつしか二人は禁断の愛の世界に身をゆだねる。まるで麻薬患者のように溺れる。しかし、それはその先の二人を待ち構えている「死の世界」への入り口だった。それでも二人は前に進む。相手役のダーク・ボガートの抑制した演技が光った。普及の名作だと思いますが、日本人の感覚ではついていけない部分もあるかもしれません。そして、ある程度の歴史知識、とくにウイーンという都市の知られざる側面の知識とユダヤ人差別の歴史知識ががないとがないと全体の構造が理解しずらいかもしれません。しかし、私はこの一作でシャーロット・ランプリングのフアンとなり、この映画の持つ不思議な吸引力に引き寄せられ続けています。
狂気の愛 (光文社古典新訳文庫)
シュールレアリスムの中心的存在、アンドレ・ブルトンの代表作。
20年以上前に読んで、「なんだかよくわからないけど凄い」と思ったことだけは覚えている。
今回、古典新訳で読み返してみて、まずわかりやすさに驚いた。
もちろん、シュールレアリスム文学だから、難解で詩的な表現も多い。
全体のプロットも、つかみ所がないとも言える。
しかし、大胆な訳と、詳細な注釈で、シュールレアリスムの世界観のようなものを
実感させてくれる。
愛のどんな敵も、愛が自らを讃える炉で溶解する
いいなあ……。こういうフレーズを書きたいものだと思う。
まさに「詩」だ。
いずれにしても、ブルトンの作品がこんなふうに手軽に読めるだけで感動である。
千年女優 [DVD]
ラブストーリーが本分だと思って見てたので、あの最期の台詞には完全にやられました。
彼女にとっては、演じることそれ自体が恋することと同等、もしくはそれ以上の意味を持つことだったんですね。
千代子の恋はいつ始まったのか。 そして初めて役を演じたのはいつだったのか。 まさにそこが鍵だったわけでしょうか。
振り返ってみると『鍵の君』から役を与えられた時から女優人生は始まっていたと言うことなんですね。 つまり、ここが“役を演じること”と“恋”との重層構造の出発点になっていたと。
まるで恋のように“役を演じることに憑かれ、追い続け、求めずにはいられなかった”女優の人生譚だったとは…
なるほど。恋は報われなくとも、そもそも成否などは関係がなかったのかもしれませんよね。
彼女は自分の内なるものが求めるままに、その道をひたすら追い続けただけなのだから。
純粋さと言うのはある部分でエゴイスティックであるけれども、そのひたむきさ故に美しく、いとおしいのかもしれない。
エマ・カークビーの肖像
古楽界では押しも押されもせぬトップスター☆エマ・カークビーは言わずと知
れた名ソプラノですが、このアルバムは彼女の真骨頂ばかり。バックもホグウ
ッドのエンシェント室内をはじめ、相変わらず余裕を持った優雅な演奏を聴か
せ、まさにバロックといった趣です。
その透明感溢れる歌声は癖がなく、実に自由で伸びやかですし、ブリリアント
なオペラ声がだめでクラシカルな声楽曲を敬遠している人たちに、是非聴かせ
たい一枚です。
ポピュラーにもシセル・シルシェブーとか、声の透き通った人はたくさんいま
すが、そういうのが好きな人にも是非お薦めです。これを機にクラシック好き
になりましょう。
出来ればコーヒー・カンタータは通しで聴くのをお薦めします。ちょっとした
掛け合いやストーリーが面白いです。